作品ギャラリー
ゆきやなぎと野の花のリース
今年の春に作ったゆきやなぎを、もういちど作りたかったのです。
春に作ったリースでは、あまりゆきやなぎが目立たなかったし、木の花と合わせた素朴なリースだったので、もっとゆきやなぎを主役にしたシックなリースが作ってみたくて。
「糸編み花屋」開店に手間取ったり、「春の訪れ」改良に手間取ったりして、予定がずれ込んでいるのですが、なんとかできあがりました。
ゆきやなぎの白を基調に、すみれの紫、おおいぬのふぐりの空色、たんぽぽの黄いろがワンポイントの、優しい色合いのリースです。
すみれはいつもより少し淡い紫で編んでいます。
青紫のものと2種類作ったのですが、あまり分かりませんね(^ ^;)
それから、空色のおおいぬのふぐり。
白と紫とみずいろのリースにしようと最初は思っていたのですが、作っているうちどうも差し色が欲しいなと思い、明るい黄いろのたんぽぽを加えました。
明るい色が入ると、ぱっと引き締まりますね。野の花らしさも増した気がします。
ゆきやなぎたくさんの、繊細ではなやかなリースです。
これも、「糸編み花屋」で販売する予定です。
よろしければぜひ、ご覧になってくださいませm(_ _)m
「春の訪れ」ふたたび
「第26回 日本の美術 全国選抜作家展」に出品した作品、「春の訪れ」は、審査員賞「山本豊津賞」を受賞いたしました。
がんばった甲斐がありましたm(_ _)m
とは言ったものの、心残りもあれこれとあったので、手もとに戻ってきた「春の訪れ」に手を加えました。
まずは、ひこばえ。
プラタナスのつもりで作った切り株にも、春が訪れて若葉が芽生えるつもりだったのですが、間に合わなかったのでした。
神戸に住んでいたとき、古くなって切り倒された街路樹のプラタナスの切り株からわしわしと葉っぱが繁るのを見て、作りたくなったのがそもそもの始まりだったので。
明るい黄緑いろのプラタナスの若葉を、切り株に生やしました。
それから、フェルトを貼っただけだった裏に、ちゃんとした裏地を編んで、張り合わせました。
表からは見えないはずのところですが、ふちが波打っていたり、なんだかぺらっとした感じがして、どうにも気に入らなかったのです。
太めの綿の糸(染めたものではないですが)でまるい裏地を編み、フェルトの裏に張り合わせてふちをかがると、波打ちが収まり、どっしりと落ち着きました。
見えないといっても、分厚くなった感じはちゃんとするのですね。
それから、虫を作って、あちこちに忍ばせました。
これは心残り、というものではなかったのですが、あの後「生きる」を作って虫っていいなあと思うようになったのでした。
草花を作ったならやはり虫がいなくては。
ということで、モンシロチョウ、アリ、テントウムシを作ってあちこちにとまらせたのでした。
完成度がぐっと上がって、とても満足です。
ほんとうは、デザインフェスタとか、ホビーショーとか大きめのイベント出展時に展示できると良かったのですが…。
どうも、なかなかそんな機会もなさそうなので…。
手もとに置いておいても仕方がないので、「糸編み花屋」で販売に出すことにしました。
作品は、やはり欲しいかたのお手に渡ってこそ、と思うので。…欲しいかたがいらっしゃればですが…。
何しろ半年かかった大作ですし、受賞作品でもありますので、Chi・Chiとしては思い切ったお値段を付けております。
よろしければぜひ、ご覧になってくださいませm(_ _)m
野の花のコサージュいろいろ
イベント出展を主な活動としているChi・Chiですが、昨今の厳しい状況下ではこれまで通りの出展は難しく感じます。
自分自身のためらいもありますし、お客さまにもぜひおいでくださいとは言いづらいところもありますし…。
そんなわけで、オンラインショップ「糸編み花屋」を開設したのでした。
「糸編み花屋」でのはじめての販売のために、おなじみの野の花コサージュをたくさん作りました。
たんぽぽ、ひなげし、しろつめくさ、すみれ。おおいぬのふぐり、なずな、あかつめくさ。
どれも、何度も作った花ばかりですが、今回はすべて1本取りで編んだのでした。
これまで2本取りで編んでいたものも1本どり、8号針で編んだので、いつもより細かく、繊細です。編み図もいろいろと変えました。
糸が細くなったので小さめのコサージュになるかと思っていたのですが、つぼみや開きかけの花、葉っぱをもう1枚…と作っているうちにどれもふつうのサイズになりました(^ ^;)
「糸編み花屋」開店のための作品でしたが、無事完売いたしました。
ご覧くださった皆さま、作品をお買い上げくださった皆さまに心からお礼申し上げますm(_ _)m
若菜摘みのリース
みかんの鉢を育てていたら、アゲハチョウが来て卵を生み、それからというもの毎年のようにかわいいいもむしが蛹になり羽化して美しいアゲハチョウになって飛び立っていく…というお話を聞かせてくださったかたがいらして、羨ましいかぎりなのです。
街中に住んでいると、アゲハチョウを見ることがなかなかありません。最近では出歩く機会も減ってしまったので、なおさらです。
アゲハチョウ、アゲハチョウと思っているうちに作りたくなり、アゲハチョウのとまっているリースを作ることにしました。
といっても、みかんの花のリースというのもしっくりきません。
10月に奈良の美術館に出品するので、そのための作品を制作せねばならないのでした。
奈良と言えば万葉の地、万葉と言えば若菜摘み…というイメージがなんとなくあり、七草の花のリースはどうだろう、とぼんやり考えていたのですが。
ところが調べてみると、七草の中のセリは、キアゲハの幼虫の食草だそうです。アゲハと言ってもみんながみんなミカン科で育つわけではないのですね。
そこでさっそくキアゲハを作ったのでした。模様が複雑なので、ほんものほどくっきりと繊細にはできませんでしたが…。まあまあアゲハらしくできたかな、と思います。
キアゲハのいもむしはアゲハチョウと違って模様がハデなのですね。こちらも、まあまあそれらしく。
セリの花は、パセリやニンジンの花と同じく、レースのような白い細かい花が咲きます。
ナズナはおなじみ、ぺんぺん草です。ごぎょうはハハコグサのこと。これも何回か作ったことがありますが、色合いや花付きかたのバランスは今回がいちばん上手くできた気がします。
ほとけのざは、コオニタビラコのことです。仏なのか鬼なのか。キク科のかわいらしい花ですが。
ハコベも、前に作ったことがあります。すずしろ、大根の花も。花びらのふちがほんのり紫色で、好きな花なのです。
すずな、カブの花は典型的な菜の花なので、アブラナと区別がつきませんね…。ちょっと花びらが尖っていて、葉っぱがぎざぎざしているのですが…。
お正月に食べる七草は、芽生えたばかりの若葉で、花が咲いたところはあまりなじみがありませんが、こんな花が咲きます。
あまりはなやかな花がないので、あざやかなマゼンタ色のホトケノザを作りました。去年「春の訪れ」で作って以来、もういちど作りたくて。
名前が同じなだけで、まったく食用ではないホトケノザですが…、奈良は仏さまでも有名なところだしまあいいか…。言葉遊びのようですが…。
もう少しアクセントが欲しいので、ふきのとうも作りました。
若菜摘みのリースと言いつつ、花が咲いてとうの立ったものばかりで、天ぷらにしたいようなふきのとうがいちばん食べごろです。
そもそも、今の七草というのもわりと後の時代になって成立したものらしいので…。万葉の頃の若菜摘みは何を摘んでいたのでしょうか。
見た目を最優先してなかなかいい加減に作ってしまったリースですが、10月20日~24日奈良市美術館にて行われる、「第5回 評論とともに観る美術展ー観る・読む・感じるー」に出品いたします。
この展覧会では、タイトルの通り、美術評論家の先生がたがそれぞれ評論を書いてくださることになっていて、わたしの作品も、オランダの美術評論家のポール・フロート氏が論じてくださるそうなのです。
これまであまり批評ということをされてこなかったChi・Chiなので、ドキドキします。どうぞお手柔らかに…。
夏に比べると状況が良くなってきたような気もします。どうなるかはまだ分かりませんが…。
よろしければぜひ、遊びにいらしてくださいませm(_ _)m
「生きる」
2021年7月6日~10日、池袋の東京芸術劇場で行われた「第29回 国際平和美術展」に出品するために制作した作品です。
「平和」をテーマに掲げた美術展ということで、「平和」とは何か、わたしなりにいろいろと考えてみましたが、結局のところ「生きること」に尽きるのではないかなあと思ったのでした。
飢えや苦痛、無知に偏見に無気力、「生きること」をおびやかすものはほんとうにたくさんあります。どうすればそれらのものから自由になり、生きることを尊ぶことができるのか。
作品の中心は、折れた桜の株です。
落雷にでもあったのか、大きくえぐれたうろの中は焼け焦げ、表から見ると朽ち果てた木のようですが、裏に回ると桜の花が芽吹いています。樹皮が生きていれば、花は咲くのです。若いひこばえの枝も育っています。
古い木なので、幹にはさまざまな着生植物が根を下ろしています。葉の裏に点々と胞子が付いたノキシノブ、白い海藻のようなウメノキゴケ。地衣類や苔類もへばりついています。
周りにはさまざまな草花が花を咲かせています。虫も集まってきます。
アブラナの黄色い菜の花にモンシロチョウがやってきました。葉っぱではあおむしがしょりしょりとかじっています。
レンゲソウでは蜜蜂が花粉集めに精を出しています。うろの奥の湿ったところには去年の落ち葉がわだかまり、どこへ行くのか蟻が数匹歩いています。
ぱっと咲いては、潔く散るイメージの桜ですが…。生きものである以上、そんなに「潔く」なんてないんじゃないかな、とわたしは思うのです。
折れて枝葉を失っても、うろができて朽ち果てても、生きていれば花も咲かせるし、いろんな生きものの拠りどころにもなります。
そうして次の世代が育っていくのです。
生きるってそういうことなんじゃないかな…と、思い思いして作ったことでした。